本間聡。

7月4日に開催されるZSTで、ジェネシスバウトに参戦する本間聡。
古い格闘技ファンには馴染み深く懐かしい選手、
新しいファンは初期のPRIDEに出ててたということで覚えているかも。
改めて調べてみると、なんかすごいと再確認したので経歴をば。


本間聡(Honma Satosi)
1968年5月19日/新潟県佐渡郡(現・佐渡市)出身/183cm/93kg

●(91〜92年)
総合格闘技という言葉もなかった91年10月、まだ【シューティング】と呼ばれていた創成期の修斗でデビュー。当時初代ライトヘビー級チャンピオンで無敗を誇っていた川口健次としのぎを削った。
 
●(93〜94年)
後、修斗を離れ、平直行と【(株)ゼンショーの格闘技部】に所属、フリーとして【リングス】「後楽園実験リーグ」で、奥田康則(合気道S.A./修斗で郷野や中尾受太郎のデビュー戦の相手を勤めた)、秋山文生(SAW/のちインディープロレスでマスクマン(グレートセンセイ)→畠中浩旭)と対戦し勝利。そのほか【リングス】では木村浩一郎(SAW)(判定負け)や、成瀬昌由(現・新日本プロレス)と対戦(勝利)。
【正確な時期は不明だが、この時期に平と共に正道会館柔術クラス(現在は正道会館から独立しストライプル)へ移籍した。これ以降所属の肩書きは「正道会館」だったり「フリー」だったりとまちまち。】
 
●(95年)
95年始めには第4回トーワ杯(グローブ空手)に参戦し3位入賞、同9月【K−1】に参戦、なぜかリングスルールで成瀬昌由と対戦しTKO勝利。(この大会で平直行素手のVTルールで初めて日本人が外国人(ヤン・ロムルダー)から勝利を挙げる)同12月に【K−1】再び参戦、VTルールでレネ・ローゼと対戦しボコられてTKO負け。
 
●(96〜97年)
その後3年間近く実戦から遠ざかる。(アンディ・フグのスパーリングパートナーと、正道会館柔術クラス(総合およびバーリトゥード・コース)での指導に専念していたと思われ)
 
●(98年〜99年)
なにがあったのか98年10月に突然【PRIDE】4に登場し佐野友飛(現・佐野直喜/NOAH)と対戦し勝利。99年4月にも【PRIDE】5でフランシスコ・ブエノ(後にPRIDE史上最高のKOシーンを演出した)にTKO負けを喫する。その2ヵ月後の6月には【K−1】でK1ルールでウェイン・ターナーと対戦しKO勝ち。99年9月には5年ぶりに【リングス】に登場しリー・ハスデルとドロー。
 
●(00年〜)
00年4月に日本で開催された【UFC】25(ティトがシウバに勝った大会)でロン・ウォーターマンと対戦し判定負け。(この時は現ストライプルのチーム名?「RtoR」(resistance to reality)という肩書きで参戦)
 
この試合を最後にプロ興行に参戦しなくなり、00年6月に正道会館柔術クラスも辞める。
辞める理由は帰郷(佐渡)ということだったが、最近、井上和浩(トイカツに勝ち、植松直哉とドローなどの戦績を持つ、俳優専念の為か2004年7月16日(金)に予定されていた環太平洋ライト級王者決定トーナメント準々決勝をドタキャン→引退するという問題を起こしてる選手)のマネージャーをしているらしい。(同姓同名でなければ)
 
所属したのが【シューティング(修斗)】→【(株)ゼンショー格闘技部】→【正道会館柔術クラス(現ストライプル)】、参戦した興行は シューティング(修斗)、RINGS、トーワ杯、K−1、PRIDE、UFC。
で、今回4年ぶりに実戦でZSTに参戦と。
・・・なんかすげぇ。
 
本間聡は日本総合格闘技界の生き証人だな。


飲む本間